前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト -5ページ目

ゼミの課外授業で灰塚ダムへ

ゼミの夏の課外講座の締めは灰塚ダム関連の学習。
江の川は、我々他地域の部外者には山陰の河川のイメージがあるが、流域としては広島県内が非常に大きい。内陸の広島を車で走ると、どこを走っても江の川流域の看板がかかっているイメージである。
そして、その主要な支流が中国山地南部・東部・北部の三方向から合流するのが三次市の中心部、という、地形的な状況が三次市の大きな災害リスク要因となっている。
市長いわく「広島に降る雨の3分の1はわが市を流れて日本海に向かいます」という状況を作っているのである。
1965年(昭和40年)には、6月~7月に江の川では二度にわたる大洪水があり、まず、土師ダムの建設が1966年(昭和41年)より開始された。
その後、1972年(昭和47年)7月には「昭和47年7月豪雨」があり、死者22名という最悪の被害を三次市等に及ぼした。
そこで、土師ダムに続く江の川水系の河川総合開発事業が計画され、1973年(昭和48年)に策定された「江の川水系工事実施基本計画」において灰塚ダムの建設が企図された。
ところが、旧三良坂町・旧吉舎町・旧総領町では猛烈な反対運動があり、事業は長期化、41年の長い年月を費やしてようやく2006年に完成した。
地元対策としては代替住宅地による補償が行われ、大規模な住宅地が開発された。今回は、三良坂町の灰塚生活再建地「のぞみが丘」を見学した。
集落を山を切り開いた大規模な造成地に丸ごと移転させ、コミュニティの維持を図る補償方式でり、地区は非常に整った街並みとなっている。
また、灰塚では、知和堰堤上流には「知和ウェットランド」が建設された。これはダム湖内に建設された知和堰堤によって形成された水域に、人工的な湿地や水辺を整備、鳥類、両生類、昆虫、水生植物が生育する環境を人工的に用意する、という一大プロジェクトであり、新たな自然環境を創造する、という興味深い事業である。
今では、国の特別天然記念物であるコウノトリも飛来し、冬にはバードウォッチングの名所となっている。
また、日本モーターサイクルスポーツ協会の認定コースにもなっている灰塚ダムトライアルパークではしばしばイベントが開催されている。
もう一つ、面白いのはダムの躯体にある展示スペースである。
ここを通るとダムの下まで行けて、ダム本体を見上げることができる。

ダムの自然環境への負荷は少なくないし、地域社会へのダメージも計り知れないわけだが、灰塚ダムで展開された一連の地域対策、環境対策はトータルパッケージとして非常に興味深く、公共分野を目指すゼミ生の絶好の教材ということで今回の見学を市長訪問と併せて企画した。
本当は、本学の学生全員を案内したいところ。
ちなみに、後期の教養科目でも毎年ここを取り上げている。
興味がある学生はどうぞ。













平成26年と令和3年の国債保有者内訳の変化

合理的無知と埼玉県知事選の過去最低投票率23.76%~イリア・ソミン教授の議論から

昨日の埼玉県知事選の投票率は知事選としては過去最低の23.76%と報道された。
これを上手く説明する理屈としてアメリカの法学者イリア・ソミン(ジョージメイソン大学法学部教授)らの「合理的無知」がある。
彼らは民主主義がうまく機能するためには合理的な無知が大きな問題であり、「市民が公共政策について情報を得るコストが、そのような知識から得られる潜在的な利益よりも高い場合、市民にとって合理的な行動は、そのような情報の取得に投資せず、無知のままでいることだ。残念ながら、投票であれ、議会の招集であれ、ツイートであれ、個人の行動が特定の政策の結果に決定的な影響を与える可能性はほぼゼロである。したがって、国民は合理的に無知であることを選択する。
政府データへのアクセスが強化されると、情報の非対称性が解消され、利益が集中してコストが分散されるという力関係が弱まる可能性がある。(機械翻訳を松本が修正)」*としている。
逆に言うと、自分たちの意思表明や投票が結果を動かせる、という確信があれば、合理的選択として、そのような行動を起こすことも考えられる。
ガチガチの政党選挙では、その後の県政の方向性もある程度見える。となると、合理的選択として県民は選挙に行かない。それで良いかは知らないが、少なくとも有権者は「選挙を見ている」のである。
* Somin, Ilya “Transparency and Political Ignorance”.

https://volokh.com/.../transparency-and-political-ignorance/

偶然、侮り難し

キャリア論の世界では、人生における様々な場面での選択や変化については、偶然の要素が大きいということがよく言われる。ここ2年、1年生のキャリア形成論と言う講義を受け持つ中で、友人関係にもこれは言えるなとあらためて感じている。座席指定をせずに座席に座ってもらい、様々な提出物を集めると、当然のことながら、隣同士で座った学生のペーパーは連続して提出されるわけで、それを改めて整理していると、最初に学生たちが集まった時に、座った隣同士や近い席同士が友人関係を形成するひとつの大きな要因になっていることがよくわかる。
これは、上級生においても連続していて、最初に座った座席というものが、友人関係を形成する際の1つの要因として少なからぬ影響を与えていることを痛感する。
倫理審査が面倒そうだからやらないが、ちゃんと研究しても、そのような結果になることは明白だろう。
自分の人生を振り返ってみても、たまたま近くに座った仲間と意気投合し、交友関係が続いていくということは珍しくない。もしかしたら、別の座席設定になっていれば、他の友人関係ができたのかもしれない。
もちろん、最初会ったときの座席が全てではなく、その他の要素も多々あるわけだが、提出物を整理していると「最初に座った座席と言うのはでかいなぁ」と改めて感じるわけである。
それがどうした、と言われかねないが、実はこの話はこれで終わりである。
キャリアも偶然、友人関係も偶然、となると、実は巡り合わせというものの要素が人生では大きいと言うことを痛感する。
以前、ラリイ・ニーヴンの大昔の小説(たしか『リングワールド』だったかと)で、宝くじに当たった人など、ツイている人だけを集めた探検隊の話があったが、改めてあれはすごい発想だなぁなんてことも思うわけである。
偶然、侮り難し。

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ラーメンを食べるときに原価を考える人、考えない人

原価と利益の話を学生にした際に、よく飲食店の原価率は3割だと言われる、という話とともに、あなたはラーメンにいくらまでなら出しますか?と問いました(手を挙げない人もあり)。

①普通のラーメン
500円まで 5人
501-1000円 35人
1001- 0
1501- 0

②豪華食材入りではないが超絶美味しいラーメン
500円まで 1人
501-1000 17人
1001-1500 18人
1501- 0

超絶美味しくても1000円までが半分、というのは渋いですが、1000円超を出してもいい、という人が半分います。

次に、皆さんはラーメンを食べるときに原価を考えますか?と問いました。
具体的には、麺がいくら、具材がいくら、スープがいくら、という積み上げで値段の妥当性を考えて店を選びますか?と問いました。

原価を考える、という学生はゼロでした。つまり、美味しいラーメンを食べながら原価を考える人は特殊で、商売的にはあまり考慮しなくてもいいのではないか、という仮説が成り立つよね、とと言うと皆「コクリ」と頷きました。
ちなみに、私は原価では判断しませんが、原価は常に考えてみる人種です。

さて、1000円超のラーメンは特別なラーメンならマーケットは小さくなるものの実現可能だ、ということは学生のアンケートでわかりましたので、雑ではありますが、1000円超のラーメンは商売の可能性として「アリ」という仮説も成り立ちます。

すると、いくら原価が安くても、超絶美味しいラーメンなら1000円超もらえる可能性があるよね、と問いました。
反対者はいませんでした。

そこで、原価が安い1000円超のラーメンを限られたマーケットを対象に売る、というビジネスの良い点ってある?
と問うたのですが、皆首をかしげてしまいました。

そこで、時間もないので「仮に原価率3割が基本だと話したけれど、原価率15%でラーメンを出したら、基本的に店の粗利が増えるよね、そうすれば店主の考え方次第だけれど、①店主の儲けか②従業員の時給が増やせるよね」と話しました。

安くてよいものを売る、というのが美徳のように思う日本人が多いけど、食べない自由もあるわけだし、1000円超のラーメンって悪くないよね、という話でその場は締めました。

安くて良いもの、という日本人の呪縛を突き抜けることができる経営者から順に、デフレから離陸して行くんだろうなあ、とふと思いました。

 

ちなみに写真のラーメンは1150円の喜多方ラーメンです。